東京・田園調布 お菓子教室・フランス料理教室・テーブルコーディネート教室 村松操 主宰/サロン・ド・トレミニョン テクニック・マナー・インテリジェンス

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秋の気配 お花と木々で季節を楽しむ

2024.09.21 Saturday

猛暑が終わりを告げています。とてつもない暑い夏でした。

朝5時半には犬のお散歩を終わらせないと、ぐったりしてしまう、そんなお話を犬のお仲間の方々とお話ししていました。太陽の出番もだんだんと少なくなってきています。さみしい感じ。

秋というと、かぼちゃのタルトを作ったり、栗の焼き菓子を作っていたのを思い出します。今は、食べ物もそうですが、草花や木々から季節感を楽しむ時間が増えました。

9月は生花ではススキを生けるのが定番だったり、私の大好きな生花です。日本だな〜という風景が、一つの作品の中に凝縮されているのが生花の素敵なところ。人工的で自然界から切り取ってきた表現物ではありますが、それゆえに自然界の美しさが際立って見せることができるのではないかと思っています。

あっという間に秋がやってきました。これから冬ですね。2025年はどんな年にしましょうか。少し気が早いかしら・・。

お菓子作りが好き・綺麗に暮らすことが好き!

2023.12.31 Sunday

やっぱり私はお菓子作りが好き。お部屋を綺麗に整えたり、お気に入りの空間を美しくしつらえ心の潤いにして暮らすことも好き。そんなことに気がついた2023年でした。

ブログの更新をすっかり忘れておりました。あっという間の一年でした。このブログをもちまして新年のご挨拶にかえさせていただくかもしれません。

今日はとても穏やかな1日です。嬉しい〜。

早足で駆け抜けるような一年で、振り返ってみればとても内容の濃い日々を送っていたなと感じています。

フランス料理を身につけていてよかったと心底思いましたし、家庭料理の基本の基本がフレンチに詰まっていること、その他諸々なことを再確認できたこと、大きかったです。

私の作ってきたお料理は、人生のハレの日のお料理でした。あえてフレンチレストランでお口にするようなフランス料理をレッスンしてきたのも、ハレの日、家族で手料理で笑顔とともに過ごしていたいという幼い頃からの願いに近い気持ちがあってのことでした。

美味しいお料理のみならず、ヨーロッパではその昔、人々の命を救ってきたスイーツに並々ならないロマンを感じてお菓子教室から開業しました。

教会で作られていたお菓子たち。飢餓から人々を守ったお菓子たち。そんな人間の守護神のようなスイーツ作り!それが私の本懐でした。美しくて美味しくて。華やかなテーブルのしつらえとともに過ごす時間は特別に幸せなものです。

お菓子をいただいているときに不機嫌になる人、いるでしょうか?きっとほとんどいないのでは?

家族で喧嘩したり、不穏な空気が漂っている時など、私は意図してホテルのラウンジでケーキ食べよう!、と提案してきました。まだお菓子作りができなかった頃の話です。お菓子には不思議な力があります。

テーブルコーディネートもそうです。前の日のいろんな嫌なことを忘れさせてくれる朝食の綺麗なテーブルは、家族の幸せを守る守護神!

テーブルはもちろんのこと、お家全体が美しく保たれた暮らしに祖母や母の愛情を感じて育ってきました。「神は細部に宿る」という言葉を教えていただいたことがあります。確かに、と思いました。

2024年、皆様のお幸せとご健康をこころよりお祈り申し上げます。

心の動きは自由、体の制限はあったとしても

2023.06.02 Friday

最近気付いたこと。それは、人間というものの存在と、心と体のこと。

前回に続き、気が付いたばかりなので、衝動?情熱にまかせながら綴ります。うまく伝わるといいのだけれど・・・。

人間の体は制約を受けて存在します。たとえ五体満足で健康であったとしても、どこかに移動するにはツールを必要とすることがありますし、時間というものがかかります。瞬間移動ができるようなドラえもんの「どこでもドア」の世界はまだ想像の段階ですし。今、ここに、縛り付けられているということ(少しハードは表現ですが、あえてします)、それが人間なのだなとわたしは思いました。

時代や環境、各々が身をおいている場所、状況。そういうものも制限として考えられるわけで、なんでもできるようであって・そうでもないんだな、そういうことが実態なのかなと。

心は自由。心の動きは、青空をゆったりと姿形を自在に変えて流れていく雲のように、いかようにも変化し、自由自在。

わたしもそうありたいと今朝、どういうわけか強く思いました。心の動きを止めないで、そのまま流してあげたい、なんの制約も無しに。何ものにも止められることなく。自由に、あるがままに。

がんじがらめの状況をここ数年経験してきました。自分のことだけではどうしようもないこと、手を尽くしても尽くしても変えられない現実だったり。性根尽き果てるまで努力してようやく手にできたものもありました。大きく物事を変えていく経験を通して学んだことの一つが、今日のタイトルになっているのかもしれません。

自分の心を殺すことはやめたい、そんな思いがあります。環境や状況や時代が許さない、そんなことを感じることもありますが、それでも私は、空を悠々と流れる雲をイメージしたいです。

動きを止めないで、そのままを感じて。良いも悪いもない世界。判断やジャッジのない世界。ただ私の心があるだけの世界。

もっと言ったら、私が何者であるかが(私の正体のようなもの)呼吸できる場所。それが心の世界なのかな? 

誰かの何かの今のニーズにあった文章であったら嬉しいです。