東京・田園調布 お菓子教室・フランス料理教室・テーブルコーディネート教室 村松操 主宰/サロン・ド・トレミニョン テクニック・マナー・インテリジェンス

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心の動きは自由、体の制限はあったとしても

2023.06.02 Friday

最近気付いたこと。それは、人間というものの存在と、心と体のこと。

前回に続き、気が付いたばかりなので、衝動?情熱にまかせながら綴ります。うまく伝わるといいのだけれど・・・。

人間の体は制約を受けて存在します。たとえ五体満足で健康であったとしても、どこかに移動するにはツールを必要とすることがありますし、時間というものがかかります。瞬間移動ができるようなドラえもんの「どこでもドア」の世界はまだ想像の段階ですし。今、ここに、縛り付けられているということ(少しハードは表現ですが、あえてします)、それが人間なのだなとわたしは思いました。

時代や環境、各々が身をおいている場所、状況。そういうものも制限として考えられるわけで、なんでもできるようであって・そうでもないんだな、そういうことが実態なのかなと。

心は自由。心の動きは、青空をゆったりと姿形を自在に変えて流れていく雲のように、いかようにも変化し、自由自在。

わたしもそうありたいと今朝、どういうわけか強く思いました。心の動きを止めないで、そのまま流してあげたい、なんの制約も無しに。何ものにも止められることなく。自由に、あるがままに。

がんじがらめの状況をここ数年経験してきました。自分のことだけではどうしようもないこと、手を尽くしても尽くしても変えられない現実だったり。性根尽き果てるまで努力してようやく手にできたものもありました。大きく物事を変えていく経験を通して学んだことの一つが、今日のタイトルになっているのかもしれません。

自分の心を殺すことはやめたい、そんな思いがあります。環境や状況や時代が許さない、そんなことを感じることもありますが、それでも私は、空を悠々と流れる雲をイメージしたいです。

動きを止めないで、そのままを感じて。良いも悪いもない世界。判断やジャッジのない世界。ただ私の心があるだけの世界。

もっと言ったら、私が何者であるかが(私の正体のようなもの)呼吸できる場所。それが心の世界なのかな? 

誰かの何かの今のニーズにあった文章であったら嬉しいです。

拡散希望 2プラス3は「5」でなくていい

2023.02.22 Wednesday

30歳くらいの頃に聞いた話です。「2プラス3」はいくつであってもいい、という奇妙なお話をうかがいました。先祖代々の菩提寺で檀家筆頭総代をされていらっしゃった方からの、ちょっとしたわたしを試すような問いかけででした。

もちろんわたしは、答えは「5」だと言いました。独特のゆったりとした風格のある穏やかな笑みを浮かべながら、そうでなくてもいいこと、7と思えはそれが答え、10ならそれも答え。それじゃあ全部答えになってしまいます、とわたしは疑問を提示しました。そうするとまた独特の微笑みと一緒に、みんなそう言うんだよ、どういうことかわからないと困惑するんだよな、と楽しそうにしていました。

今日、朝方、ハッと答えが出ました。長年かかった宿題がクリアできた喜びとともに、いま、ブログを書いています。

つまり、自然科学の世界では数学に代表されるように方程式があり、答えは一つ。決まりきっていて、過去・現在・未来と「時間」が流れて行くように、しかも容赦無く私たち人間にはどうしようもなく平等にすぎて行く、そう言う世界があります。過去があり、その上に現在が成り立っていて、現在が未来を創って行くのだと。それが「2たす3は5」という比喩が象徴していた世界なわけです。

一方、人文科学系といいますか、人間とか人生とか、美とか、悪とか善とか、そういう一種混沌とした答えがあるようでない移ろいゆくようなもの・・そういう世界があって、そこでは方程式はないし、その方程式があると思って生きてはいませんか?、それに縛られて生きている人間の姿を意識してみたことはありますか、というお試しだったのだのだなと思いました。

長年かかった難問ですが、生きるということの一側面に触れた気がしています。現在。この現在に対する意識。そこに答えはあって(どう生きるかということです)、過去からのつながりで現在があるようで実はない、ということを知りました。換言すれば、限界はないというか、これこれこうだったから現在はこうで未来はこう、という方程式的な生き方をは別の見方をしてみることもいいんじゃないのかな、と、時に考えてみることも楽しいよ、と、天国に旅立たれた筆頭総代は言いたかったのだと思います。

なので、過去というものは、固定されてはいるけれど、起きた出来事も、自分が歩んできた道も、あの時にした選択も(意識的であれ無意識的であれ)、今現在の行動を変えて行くことで、つまり、方程式的世界から離れて見ることで、軌道はいくらでも広がる。「5」でも他かのなんでもいい、とはそういうこと。

極端に言ったら、時間はまっすぐに進んでいるわけではなく、行きつ戻りつしながら、その時に意味づけをされながら、現在の行動によって、今日の過ごし方・気持ちの持ち方によって、あの時、あの時のことは、その過去の現実が変わったものになっていく、というちょっとよくわからないのですが、そういうことなんだなと感じています。

思い切って書いてみました。皆様の何らかのヒントになればと思って。

方程式から解放されるとどうなるんだろう・・・。気づいたばかりなので検証結果は書けません。しかしながら、開放感とすっごく腑に落ちた感があるのはなぜでしょう。何十年もかかってしまったけれど、天国から合格点、いただけそうかもしれません。

色彩美 朝・日の出前の空のグラデーション 

2023.01.03 Tuesday

穏やかなお正月を過ごしています。こういうときでもないとブログを更新することもできないかな・・・・と思い書いています。

文章を書くのは好き。気ままに思いつくままに。わたしの思ったことに共感してくださる方がいらしてくださったならば、さらに嬉しい。そんな感じです。

朝、太陽がこれから地平線から登り始めそうな頃、まだ夜を感じさせる薄い紺色をした空がまだ残っている頃。あ〜なんて美しいんだろう、地球って、て思います。夜明け前、直前の美しい空のグラデーション!

薄い黄色から、薄いオレンジへ、そして薄いブルー。ブルーの色がどんどん濃くなって、太陽の影響をまだ受けていない青色の世界へ。飛行機に乗って、半分の地球が昼間で反対側の地球が夜を迎えている、そんな景色を眺めては感動していたことを思い出します。太陽の光によってくっきりと丸い地球が映し出されている光景は神秘的。

昨年は、442年ぶりに皆既月食・天王星食がありました。

くすんだ赤い色をした月をわたしはず〜〜〜っと眺めていました。古の1580年の時代のことを想像しながら。ゆっくりとゆっくりと月が隠れて行く様。なんと表現するのがいいのか言葉につまりますが、畏怖の念のようなものが心に浮かんで来ました。

壮大な宇宙。天体がこうして運行して、私たち太陽系の星々は、星そのものが生きているということだったり、遠くから軌道にのっとってやってくる天王星という未知なる星が月食を通して私たちの前に現れてくれること、などなど。

時々、かぐや姫になってどこか地球とは違う何処かに帰りたい・・と思ってしまうのは、宇宙のそうしたロマンに憧れているからでしょう。

もう数時間もすれば夕空にオリオン座をシリウスが輝き出します。冬の星座ですね。オリオンとともに生きる真冬。オリオン座が夜空から姿を隠す頃、私たちは春を迎えます。

今年のお花見はどんな風に過ごせるのだろう。すべきこと(タスク)はあれど、心のゆとり・豊かさは持ち合わせていたいと願うわたしです。