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拡散希望 2プラス3は「5」でなくていい

2023.02.22 Wednesday

30歳くらいの頃に聞いた話です。「2プラス3」はいくつであってもいい、という奇妙なお話をうかがいました。先祖代々の菩提寺で檀家筆頭総代をされていらっしゃった方からの、ちょっとしたわたしを試すような問いかけででした。

もちろんわたしは、答えは「5」だと言いました。独特のゆったりとした風格のある穏やかな笑みを浮かべながら、そうでなくてもいいこと、7と思えはそれが答え、10ならそれも答え。それじゃあ全部答えになってしまいます、とわたしは疑問を提示しました。そうするとまた独特の微笑みと一緒に、みんなそう言うんだよ、どういうことかわからないと困惑するんだよな、と楽しそうにしていました。

今日、朝方、ハッと答えが出ました。長年かかった宿題がクリアできた喜びとともに、いま、ブログを書いています。

つまり、自然科学の世界では数学に代表されるように方程式があり、答えは一つ。決まりきっていて、過去・現在・未来と「時間」が流れて行くように、しかも容赦無く私たち人間にはどうしようもなく平等にすぎて行く、そう言う世界があります。過去があり、その上に現在が成り立っていて、現在が未来を創って行くのだと。それが「2たす3は5」という比喩が象徴していた世界なわけです。

一方、人文科学系といいますか、人間とか人生とか、美とか、悪とか善とか、そういう一種混沌とした答えがあるようでない移ろいゆくようなもの・・そういう世界があって、そこでは方程式はないし、その方程式があると思って生きてはいませんか?、それに縛られて生きている人間の姿を意識してみたことはありますか、というお試しだったのだのだなと思いました。

長年かかった難問ですが、生きるということの一側面に触れた気がしています。現在。この現在に対する意識。そこに答えはあって(どう生きるかということです)、過去からのつながりで現在があるようで実はない、ということを知りました。換言すれば、限界はないというか、これこれこうだったから現在はこうで未来はこう、という方程式的な生き方をは別の見方をしてみることもいいんじゃないのかな、と、時に考えてみることも楽しいよ、と、天国に旅立たれた筆頭総代は言いたかったのだと思います。

なので、過去というものは、固定されてはいるけれど、起きた出来事も、自分が歩んできた道も、あの時にした選択も(意識的であれ無意識的であれ)、今現在の行動を変えて行くことで、つまり、方程式的世界から離れて見ることで、軌道はいくらでも広がる。「5」でも他かのなんでもいい、とはそういうこと。

極端に言ったら、時間はまっすぐに進んでいるわけではなく、行きつ戻りつしながら、その時に意味づけをされながら、現在の行動によって、今日の過ごし方・気持ちの持ち方によって、あの時、あの時のことは、その過去の現実が変わったものになっていく、というちょっとよくわからないのですが、そういうことなんだなと感じています。

思い切って書いてみました。皆様の何らかのヒントになればと思って。

方程式から解放されるとどうなるんだろう・・・。気づいたばかりなので検証結果は書けません。しかしながら、開放感とすっごく腑に落ちた感があるのはなぜでしょう。何十年もかかってしまったけれど、天国から合格点、いただけそうかもしれません。