東京・田園調布 お菓子教室・フランス料理教室・テーブルコーディネート教室 村松操 主宰/サロン・ド・トレミニョン テクニック・マナー・インテリジェンス

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お菓子作りが好き・綺麗に暮らすことが好き!

2023.12.31 Sunday

やっぱり私はお菓子作りが好き。お部屋を綺麗に整えたり、お気に入りの空間を美しくしつらえ心の潤いにして暮らすことも好き。そんなことに気がついた2023年でした。

ブログの更新をすっかり忘れておりました。あっという間の一年でした。このブログをもちまして新年のご挨拶にかえさせていただくかもしれません。

今日はとても穏やかな1日です。嬉しい〜。

早足で駆け抜けるような一年で、振り返ってみればとても内容の濃い日々を送っていたなと感じています。

フランス料理を身につけていてよかったと心底思いましたし、家庭料理の基本の基本がフレンチに詰まっていること、その他諸々なことを再確認できたこと、大きかったです。

私の作ってきたお料理は、人生のハレの日のお料理でした。あえてフレンチレストランでお口にするようなフランス料理をレッスンしてきたのも、ハレの日、家族で手料理で笑顔とともに過ごしていたいという幼い頃からの願いに近い気持ちがあってのことでした。

美味しいお料理のみならず、ヨーロッパではその昔、人々の命を救ってきたスイーツに並々ならないロマンを感じてお菓子教室から開業しました。

教会で作られていたお菓子たち。飢餓から人々を守ったお菓子たち。そんな人間の守護神のようなスイーツ作り!それが私の本懐でした。美しくて美味しくて。華やかなテーブルのしつらえとともに過ごす時間は特別に幸せなものです。

お菓子をいただいているときに不機嫌になる人、いるでしょうか?きっとほとんどいないのでは?

家族で喧嘩したり、不穏な空気が漂っている時など、私は意図してホテルのラウンジでケーキ食べよう!、と提案してきました。まだお菓子作りができなかった頃の話です。お菓子には不思議な力があります。

テーブルコーディネートもそうです。前の日のいろんな嫌なことを忘れさせてくれる朝食の綺麗なテーブルは、家族の幸せを守る守護神!

テーブルはもちろんのこと、お家全体が美しく保たれた暮らしに祖母や母の愛情を感じて育ってきました。「神は細部に宿る」という言葉を教えていただいたことがあります。確かに、と思いました。

2024年、皆様のお幸せとご健康をこころよりお祈り申し上げます。

心の動きは自由、体の制限はあったとしても

2023.06.02 Friday

最近気付いたこと。それは、人間というものの存在と、心と体のこと。

前回に続き、気が付いたばかりなので、衝動?情熱にまかせながら綴ります。うまく伝わるといいのだけれど・・・。

人間の体は制約を受けて存在します。たとえ五体満足で健康であったとしても、どこかに移動するにはツールを必要とすることがありますし、時間というものがかかります。瞬間移動ができるようなドラえもんの「どこでもドア」の世界はまだ想像の段階ですし。今、ここに、縛り付けられているということ(少しハードは表現ですが、あえてします)、それが人間なのだなとわたしは思いました。

時代や環境、各々が身をおいている場所、状況。そういうものも制限として考えられるわけで、なんでもできるようであって・そうでもないんだな、そういうことが実態なのかなと。

心は自由。心の動きは、青空をゆったりと姿形を自在に変えて流れていく雲のように、いかようにも変化し、自由自在。

わたしもそうありたいと今朝、どういうわけか強く思いました。心の動きを止めないで、そのまま流してあげたい、なんの制約も無しに。何ものにも止められることなく。自由に、あるがままに。

がんじがらめの状況をここ数年経験してきました。自分のことだけではどうしようもないこと、手を尽くしても尽くしても変えられない現実だったり。性根尽き果てるまで努力してようやく手にできたものもありました。大きく物事を変えていく経験を通して学んだことの一つが、今日のタイトルになっているのかもしれません。

自分の心を殺すことはやめたい、そんな思いがあります。環境や状況や時代が許さない、そんなことを感じることもありますが、それでも私は、空を悠々と流れる雲をイメージしたいです。

動きを止めないで、そのままを感じて。良いも悪いもない世界。判断やジャッジのない世界。ただ私の心があるだけの世界。

もっと言ったら、私が何者であるかが(私の正体のようなもの)呼吸できる場所。それが心の世界なのかな? 

誰かの何かの今のニーズにあった文章であったら嬉しいです。

拡散希望 2プラス3は「5」でなくていい

2023.02.22 Wednesday

30歳くらいの頃に聞いた話です。「2プラス3」はいくつであってもいい、という奇妙なお話をうかがいました。先祖代々の菩提寺で檀家筆頭総代をされていらっしゃった方からの、ちょっとしたわたしを試すような問いかけででした。

もちろんわたしは、答えは「5」だと言いました。独特のゆったりとした風格のある穏やかな笑みを浮かべながら、そうでなくてもいいこと、7と思えはそれが答え、10ならそれも答え。それじゃあ全部答えになってしまいます、とわたしは疑問を提示しました。そうするとまた独特の微笑みと一緒に、みんなそう言うんだよ、どういうことかわからないと困惑するんだよな、と楽しそうにしていました。

今日、朝方、ハッと答えが出ました。長年かかった宿題がクリアできた喜びとともに、いま、ブログを書いています。

つまり、自然科学の世界では数学に代表されるように方程式があり、答えは一つ。決まりきっていて、過去・現在・未来と「時間」が流れて行くように、しかも容赦無く私たち人間にはどうしようもなく平等にすぎて行く、そう言う世界があります。過去があり、その上に現在が成り立っていて、現在が未来を創って行くのだと。それが「2たす3は5」という比喩が象徴していた世界なわけです。

一方、人文科学系といいますか、人間とか人生とか、美とか、悪とか善とか、そういう一種混沌とした答えがあるようでない移ろいゆくようなもの・・そういう世界があって、そこでは方程式はないし、その方程式があると思って生きてはいませんか?、それに縛られて生きている人間の姿を意識してみたことはありますか、というお試しだったのだのだなと思いました。

長年かかった難問ですが、生きるということの一側面に触れた気がしています。現在。この現在に対する意識。そこに答えはあって(どう生きるかということです)、過去からのつながりで現在があるようで実はない、ということを知りました。換言すれば、限界はないというか、これこれこうだったから現在はこうで未来はこう、という方程式的な生き方をは別の見方をしてみることもいいんじゃないのかな、と、時に考えてみることも楽しいよ、と、天国に旅立たれた筆頭総代は言いたかったのだと思います。

なので、過去というものは、固定されてはいるけれど、起きた出来事も、自分が歩んできた道も、あの時にした選択も(意識的であれ無意識的であれ)、今現在の行動を変えて行くことで、つまり、方程式的世界から離れて見ることで、軌道はいくらでも広がる。「5」でも他かのなんでもいい、とはそういうこと。

極端に言ったら、時間はまっすぐに進んでいるわけではなく、行きつ戻りつしながら、その時に意味づけをされながら、現在の行動によって、今日の過ごし方・気持ちの持ち方によって、あの時、あの時のことは、その過去の現実が変わったものになっていく、というちょっとよくわからないのですが、そういうことなんだなと感じています。

思い切って書いてみました。皆様の何らかのヒントになればと思って。

方程式から解放されるとどうなるんだろう・・・。気づいたばかりなので検証結果は書けません。しかしながら、開放感とすっごく腑に落ちた感があるのはなぜでしょう。何十年もかかってしまったけれど、天国から合格点、いただけそうかもしれません。